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津地方裁判所 昭和45年(行ウ)3号 判決

津市関溝町津興一〇九五

被告

奥田和子

三重県松阪市磯町一三一五の三

被告

松阪税務署長

篠原治夫

右指定代理人

中村盛雄

吉田文彦

今泉常克

内山正信

浜卓雄

石田柾夫

植村隆郎

右当事者間の昭和四五年(行ウ)第三号相続税更正決定一部取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一、被告が原告に対し昭和四一年五月六日付でなした相続税更正処分のうち、課税価格金三、四三七、〇五一円を超える部分は、これを取消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

主文同旨の判決。

二、被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、原告の請求原因

(一)  原告は、昭和三八年二月一五日死亡した訴外亡三井源三郎の唯一人の相続人であるが、昭和三八年八月一〇日被告に対し右相続による取得財産価額金一、〇二五、九五四円、課税価格金一、〇二五、九〇〇円として申告したところ、同四一年五月六日被告は右原告の申告が過少申告であるとして、取得財産価額金四、六八〇、七〇一円、課税価格が金四、六八〇、七〇〇円と更正処分をなし、そのころ原告に右更正処分の通知がなされた。

(二)  原告は右更正処分に不服があるので、昭和四一年六月四日被告に対し異議申立てをしたところ、被告は同年七月九日付でこれを棄却した。そこで原告は更に、昭和四一年八月一〇日訴外名古屋国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は昭和四四年一二月二二日付で原告の右審査請求を棄却する旨の裁決をした。

(三)  しかし、被告がなした更正処分の基礎となる物件の中には、訴外亡家城ゑいの所有に属する不動産、家庭用動産株券、現金等を原告の相続取得財産として認定しているものがあり、右の物件を除くと原告の本件相続による課税価格は金三、四三七、〇五一円となるべきものである。

(四)  よつて、被告の右更正処分には違法な点があるので、原告は被告に対し、その取消を求める。

二、被告の答弁および主張

(一)  第一項および第二項の事実は認めるが、第三項の事実は否認する。

(二)  被告が、原告の本件相続にかかる相続税課税価格算定の基礎として認定した被相続人の財産、債務、葬式費用は、別紙相続財産明細表の被告主張欄記載のとおりである。右によれば原告の本件相続による課税価格は金五、五三三、四二四円となり、従つてこれを下廻る課税価格金四、六八〇、七〇〇円と認定した被告の本件更正処分に、何ら違法はない。

三、被告の主張に対する原告の答弁および反論

(一)  被告主張の各相続財産に対する答弁は別紙相続財産明細表の原告の答弁欄記載のとおりである。

(二)  被相続人三井源三郎は、その生前訴外亡家城ゑいと長年にわたり同居していたため、被相続人の死亡後、本件相続財産については原告と右訴外人との間でその所有権の帰属について争いがあり、右訴外人が原告ほか一名を被告として提起した所有権確認等請求訴訟は、その控訴審である名古屋高等裁判所において昭和四四年六月二日和解が成立し、右の紛争は解決をみるに至つたが、その席上原告は、別紙相続財産明細表一項三号の松阪市中町一、九六三番の二の宅地五坪、同明細表二項二号の同番地所在家屋六坪(家屋番号同町二四〇番)および同表三項の電話加入権(松阪局九九六番)はいずれも右家城ゑいの所有であることを認めたので、右各財産は同女の所有に属することが確定されたものである。

(三)  また、原告は右和解により、ゑいに対し和解金として金一、四〇〇、〇〇〇円を支払うこととなつたが、これは、源三郎の預金や株式の蓄積が主として美容院経営の収益によるものであるところ、右経営はゑい名義で営まれ、しかも長年にわたりゑいと同居生活を送つていたこと等から、源三郎の預金の中にはゑいの持分も含まれていることを考慮し、その持分を金一、四〇〇、〇〇〇円と評価して右和解金の支払がなされることになつたものである。右和解金についてはゑいに対し、その後何らの課税がなされていないが、これは被告自身が、右和解金がゑいの新たな所得ではなく、過去の蓄積された財産についての持分であることを認めているものというべきである。

(四)  更に、原告は前記訴訟の弁護士費用として金七七〇、〇〇〇円を支払つたので、相続税の課税価格算定については、右弁護士費用も相続財産から控除されるべき性質のものである。

四、原告の反論に対する答弁

(一)  第三項のうち、和解金一、四〇〇、〇〇〇円につき、ゑいに対し課税していないことは認める。

(二)  その余の事実は、全て否認する。

第三、証拠

一、原告

甲第一ないし第六号証、第七号証の一ないし六九、第八号証の一ないし一六、第九号証を提出し、証人家城智栄、同瀬古清の各証言を援用し、乙第一、第二号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認めた。

二、被告

乙第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五ないし第一二号証を提出し、甲第七号証の一、第九号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立は認めた。

理由

第一、訴外三井源三郎の死亡により、原告がその唯一人の相続人として源三郎の遺産を相続したこと、原告主張の日に原告に対し原告主張どおりの相続税課税価格とする被告の更正処分がなされたこと、右の本件課税価格算定の基礎となつた被告主張財産のうち、別紙相続財産明細表一項二号の土地(以下一九六三番の二の土地という)、同表二項二号の家屋(以下一九六三番の二の家屋という)、同表三項の電話加入権(以下単に電話加入権という)、東洋紡績の株式のうち二〇二株、鐘淵化学工業の株式のうち二〇株、家庭用動産のうち一八六、三八八円相当分、現金三〇〇、〇〇〇円、松阪伊勢信用金庫三瀬谷支店の定期預金のうち一〇〇円、預金総額のうち和解金相当金一、四〇〇、〇〇〇円、弁護士費用金七七〇、〇〇〇円を除き、その余の財産を原告が相続したことについては、当事者間に争いがない。

第二、そこで、右争いのある財産につき、原告が本件相続により取得したものか否かについて順次検討することとする。

一、一九六三番の二の土地、一九六三番の二の家屋について

(一)  成立に争いのない乙第一二号証によれば、右土地、家屋は元訴外亡家城ゑいの所有であつたところ、大正八年三月二九日訴外亡三井源三郎の養父である訴外亡三井常太郎がゑいから右土地、家屋を買受けたとして、同年四月四日常太郎名義に所有権移転登記がなされ、その後源三郎が死亡した昭和三八年二月一五日当時まで、右土地、家屋の登記簿上の所有名義は常太郎名義のままになつていたこと、源三郎死亡後別表記載の本件不動産、債権等が源三郎の所有に属するものか否かについて、ゑいと源三郎の養女である原告との間で紛争を生じ、ゑいから原告およびその実父である訴外瀬古清を相手方として所有権確認等の訴が提起されたが(津地方裁判所松阪支部昭和三八年(ワ)第一八号、(以下単に前訴と略称する。)同訴訟においても、一九六三番の二の土地、一九六三番の二の家屋が、真実ゑいから常太郎に売渡されたものか否かについて争われ、ゑいは常太郎に選挙権の資格を取得させるために所有名義を同人に移したにすぎないと主張していたことが認められる。そこでこの点につき検討してみるに、成立に争いのない甲第五号証によれば、常太郎はゑいの異父妹である訴外亡三井てつの実父であつて、ゑいとてつの実母は訴外亡家城なかという身分関係にあつたのであり、明治二四、五年ごろ畳職人をしていた常太郎は住家が火災に会い焼けだされたため、髪結い業をして子ゑいと二人の生計を立てていた家城なか方二階に引越し、以来同女と同居生活に入り、二人の間にてつが出生してからは、常太郎となか、その子てつと異父姉ゑいら四人は一諸に生活していたこと、常太郎には格別の資産もなかつたこと、右土地、家屋はなか方居宅および敷地の一部であつたことが認められ、右認定のようなゑいと常太郎との身分関係、常太郎の資産状態および生活状態等から判断すれば右土地、家屋につき、ゑいと常太郎との間に真の売買がなされたものとは条理上にわかに認め難いものがあるところ、右の売買がなされねばならなかつたと推察すべき特段の事情も見受けられないので、前訴におけるゑいの主張もあながち排斥しえないものというべく、従つて右土地、家屋が常太郎の所有名義に登記されていることの故をもつてたやすく同人の所有であつたものと推定するわけにはいかない。

(二)  しかるところ、成立に争いのない甲第一、二号証によれば、ゑいと原告らの間の前訴の控訴審である名古屋高等裁判所の昭和四四年六月二日の和解期日において、相続当時被相続人の源三郎所有名義に登記されていた土地、建物(前掲表一項二号、二項一号)については原告の所有であることをゑいにおいて確認し、当時常太郎の所有名義に登記されていた一九六三番の二の土地、一九六三番の二の家屋についてはいずれもゑいの所有であることを原告において確認する旨の和解が成立し(名古屋高等裁判所昭和四四年(ホ)第一八七号)、しかも被告の本件更正処分に対して、原告から名古屋国税局長に対し申立てられた審査請求に対する昭和四四年一二月二二日付同局長の裁決においても、右土地、家屋は原告以外の第三者の所有に属し、原告の本件相続による財産の対象から除外するを相当とする旨の認定がなされている。

(三)  このようにみてくると、一九六三番の二の土地および一九六三番の二の家屋が源三郎の所有に属し、原告が相続により取得したものとの被告の主張は、直ちに肯認しがたいものがあり、被告の右主張に副う書証でいずれも成立に争いのない乙第四号証の一、二、同第六号証、同第九号証、同第一〇号証は、前記(一)(二)に認定のような事実に照らしたやすく信用できず、既にこの点に関する被告の主張を認めるに足る証拠はない。

二、電話加入権について

(一)  成立に争いのない甲第五号証、同第六号証、乙第四号証の一同第一〇号証、証人瀬古清、同家城智栄の各証言によれば、本件電話加入権は戦後まもなく他人のものを買取つて家城美容院に架設されたものであつて、その登録名義は源三郎名義になつていたが、電話帳には家城美容室として掲載されていたこと、その美容院の営業名義はゑいになつていたこと、ゑいは明治年代の末ごろから独立して髪結い業を営んできたが、異父妹てつの夫源三郎が昭和七年に銀行を退職して後は、同人がゑいの営む髪結い業の経理や渉外関係を担当して協力するようになり、昭和一七年ころ髪結い業が不振になつたのを機に源三郎の提案により美容院経営に転じた後も、営業形態は従前同様にゑいと後日ゑいの養女となつた訴外家城智栄が、技術面を担当し、源三郎が経理等を担当して、互いに協力しあつて美容院を経営し収益をあげてきたという関係にあつたうえ、これより先の大正一〇年ころ源三郎はてつと結婚し、以来ゑいと共に三人で同居生活を送つており(常太郎は同年一一月四日死亡)、昭和二二年右てつが死亡した後も源三郎とゑいは従来同様の生活を続け、食事も一諸にする等全く家族同様の生活であり、源三郎とゑいとの財産関係は必らずしも明確に区別されていなかつたことが認められる。

(二)  しかるところ、成立に争いのない甲第一、二号証によればゑいと原告らとの間で成立した前記名古屋高等裁判所における和解で、本件電話加入権の権利者がゑいである旨確認され、かつ、本件更正処分に関する昭和四四年一二月二二日付名古屋国税局長の前記裁決においても、本件電話加入権は、一九六三番の二の上地、一九六三番の二の家屋と同様、原告以外の第三者が権利者である旨の認定がなされている。

(四)  このようにみてくると、本件電話加入権を原告が本件相続により取得したとの被告の主張は肯認し難く、被告の主張に副う乙第四号証の一、二、同第六号証、同第九号証、同第一〇号証は、右(一)(二)に認定のような事実に照らしたやすく信用できず、他にこの点に関する被告の主張を認めるに足る証拠はない。

三、東洋紡績株式二〇二株、鐘淵化学工業株式二〇株について

弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第一号証、同第二号証によれば、源三郎が死亡した昭和三八年二月一五日当時の株主名簿上における源三郎所有名義の株式数は、被告主張のとおり鐘淵化学工業の株式一一〇株、東洋紡績株式一、二一一株であつたことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。もつとも成立に争いのない甲第二号証、同第七号証の二、三、ないし五、八、同号証の三、七、ないし六、五、証人瀬古清、同家城智栄の各証言によれば、源三郎所有の株券は同人の死亡当時家城方で保管されており、その後ゑいから原告に対し現実に右各会社の株券の引渡がなされたのは、前記名古屋高等裁判所における和解によりゑいから原告に引渡の約がなされた分のみ、即ち東洋紡績につき一、〇〇九株式、鐘渊化学工業につき九〇株式であることがうかがえるが、源三郎死亡当時における株主名簿上の同人所有名義の株式数が前記認定のとおりである以上、それにもかかわらず、源三郎は死亡当時株主名簿上の所有名義の株式について実質上の株主としての地位を有しなかつたこと、換言すれば、源三郎は名義書換えこそ未だなされていなかつたが既に死亡前に売却処分等していたが故に、実質上の株主と会社に対する関係で株主としての権利を行使できる者とに不一致をきたしていたことについて、原告が主張、立証しない限り、源三郎は死亡当時右株式の実質上の株主でもあつたと推認するのが相当であるから、原告において右の主張、立証のない本件においては、右の如く、紛争の結果原告がゑいから現実に引渡を受けた株式数が原告のいうように東洋紡績は一、〇〇九株式、鐘淵化学工業は九〇株式であつたからといつて、このことから直ちに原告が相続で取得した右各銘柄の株式数はそれだけであつたと認めることはできず、被告主張のとおり右各銘柄につき実質上の株主たる地位も取得したものと推認せざるをえない。

四、松阪伊勢信用金庫三瀬谷支店の定期預金について

成立に争いのない甲第七号証の九一〇によれば、源三郎は右三瀬谷支店において、昭和三七年八月二〇日金一〇〇、〇〇〇円、同年一〇月二二日金一〇〇、一〇〇円をそれぞれ期間一ヵ年とする定期預金に預け入れたことが認められるところ、本件全証拠によるも源三郎がその生前右定期預金の解約をしたことをうかがわせるに足る証拠はないから、原告が相続した右三瀬谷支店の定期預金額は、被告主張のとおり、金二〇〇、一〇〇円と認めるほかはない。

五、家庭用動産一八六、三八八円相当分について

(一)  証人家城智栄の証言によれば、前記二の(一)で認定のように、ゑいと源三郎とは生活を共にしていたため、源三郎が生前身につけていた時計、衣料品を除くその余の家庭用動産については所有関係が明確でなく、源三郎死亡後七年余を経た段階でも、家城方から原告に引渡がなされたものはほとんどないことが認められる。

(二)  しかるところ、成立に争いのない甲第一号証、同第三号証によれば、被告から原告に対する昭和四一年五月六日付本件更正処分通知書添付の課税標準内訳には家財として金一八、六一二円と計上されており、右更正処分に対する審査請求につき、名古屋国税局長が昭和四四年一二月二二日付でなした前記裁決では、家庭用動産は金一八六、三八八円と認定されてはいるが、右裁決等における認定の基礎となつた家庭用動産の内訳明細については、これを明らかにする何らの資料もない。

(三)  なお原告が本件相続により金二〇五、〇〇〇円相当の家庭用動産を取得したとの被告の主張に副う乙第三号証は、同号証がゑいと原告ら間の前訴における原告らの主張に過ぎないことおよび右(一)(二)に認定説示したような事実関係に照らしてたやすく信用できない。

要するに、この点に関する被告の主張はこれを認めるに足る証拠はないものというほかない。

六、現金三〇〇、〇〇〇円について

成立に争いのない乙第四号証の一によれば、源三郎はその死亡直前金三〇〇、〇〇〇円ほどの現金を所持していたことが窺われないでもない。しかし前記二の(一)で認定のような源三郎とゑいらとの生活状況からみて、その現金が源三郎のものと即断できないこと、そしてまた証人瀬古清、同家城智栄の証言によれば、現金についてはその後家城方から原告に授受がなされないまま現在に至つていることが認められること、更に成立に争いのない甲第一号証、同第三号証によれば、被告の本件更正処分においても、また同更正処分に対する審査請求の前記裁決においても、原告の相続取得財産の中に現金を認定された形跡のないこと等を考え合わせると、原告の本件相続財産とみるべき現金の存在は疑問であつて、この点に関し被告の主張に副う乙第三号証は、右認定説示の事情に照らしたやすく信用できない。

要するに、現金三〇〇、〇〇〇円についても被告の主張を認めるに足る証拠はないものといわざるをえない。

七  和解金一、四〇〇、〇〇〇円について

(一)  成立に争いのない甲第二号証、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める甲第九号証によれば、原告らとゑいとの間で成立した名古屋高等裁判所における前記和解により、原告は、実父でかつ前訴の相被告である訴外瀬古清と連帯して、ゑいに対し和解金として金一、四〇〇、〇〇〇円を支払うこととなり、昭和四四年六月四日右金員の支払がなされたことが認められる。

(二)  そこでまず右和解金の趣旨を付度するに、成立に争いのない甲第五号証、同第六号証、乙第四号証の一、二、同第一〇号証を総合すれば、源三郎が昭和七年銀行を退職して後の収入源は、美容院経営によるものの他はほとんどみるべきものがなかつたことが認められること、前記二の(一)で認定のように美容院経営はゑいと源三郎との協力により営まれいわばその共同経営とも言うべきものであり、またゑいと源三郎との財産関係も必ずしも明確に区別されていなかつたこと、ゑいに支払われた右和解金については、その後現在まで何らの課税がなされていないことは被告も自認していること、以上の事実を総合して判断すれば、前訴当事者間においても源三郎とゑいとの所有関係を明確にすることはできなかつたが、しかし源三郎名義の預金については、それが主として美容院経営の収益によるものであり、かつその美容院経営がゑいと源三郎との協力によつて営まれていた以上、右預金についてはゑいも実質的持分を有するものであるとの判断の下に、右実質的持分に相当する金員で本来被相続人源三郎において配分清算されているべき性質のものとして和解金一、四〇〇、〇〇〇円が支払われることになつたものと推認される。

(三)  ところで、前記認定のように、右和解金の支払は瀬古清と原告との連帯債務とされているので、その連帯の趣旨については更に検討を要するところであるが、成立に争いのない乙第一二号証によれば、前訴は専ら訴訟の対象となつた財産が、原告の相続財産に含まれるべきものか否かについての争いであり、従つて、源三郎の相続人たる地位にない瀬古清は前訴の勝敗につき何ら直接的な利害関係を有しないものであつたことが認められ、更に成立に争いのない甲第二号証、乙第一〇号証、同第一一号証によれば、前訴当時原告は未だ独身で瀬古清が実父として後見人的な地位にあつたことが認められる。以上認定のような事実を総合すれば、和解金の支払義務が連帯とされた趣旨は、主たる支払義務は、前訴につき直接の利害関係を有する原告において負担し、瀬古清は原告の保証人的地位において連帯して債務を負担したに過ぎないものと解するのが相当である。

(四)  このようにみてくると、被告の主張する預金総額の中から、和解金として支払われた右金一、四〇〇、〇〇〇円を控除した残額が、原告の本件相続により取得した実質預金と認めるのが相当である。

八、弁護士費用七七〇、〇〇〇円について

前訴における弁護士費用として原告が右金七七〇、〇〇〇円を支払つたことを認めるに足る証拠はなく、仮に右負担があつたとしても原告の本件相続財産価額から控除さるべき性質のものではないから、この点に関する原告の主張は到底採用できない。

第三、結論

よつて、原告が本件相続により取得した財産として被告が主張する物件のうち、一九六三番の二の土地(価額金九五、〇〇〇円)、一九六三番の二の家屋(価額金四六、五三〇円)、電話加入権(価額金一一〇、〇〇〇円)、家庭用動産のうち金一八六、三八八円相当分、現金三〇〇、〇〇〇円、預金のうち金一、四〇〇、〇〇〇円については、その根拠がなく、従つて被告が本件更正処分により、原告の本件相続税の課税価格を金四、六八〇、七〇〇円としたうち、金三、三九五、五〇六円を越える部分は違法であり、金三、四三七、〇五一円を超える部分につき取消を求める原告の請求は全て理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉山忠雄 裁判官 寺本栄一 裁判官 湯地絋一郎)

相続財産明細表

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